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2009年 04月 06日
川の向こう岸
“五百羅漢”
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 昨日は午前中に、車で目黒へ向かった。毎年見ている目黒川の桜を、いつもとは逆の方向から初めて見た。桜を見に行こうとして、この場所に来たのではなかった。ただ、満開に咲き誇る桜を楽し気に見ている大勢の人もいれば、そのすぐ側で、悲しみに暮れる大勢の人もいた。昨日のアタシは、後者の方の立場だった。親の代わりで参列して、「初めて会う日が、こんな事になってしまって。」と言われ、自分とほんの少しの血が重なり合う人間がいなくなってしまったのを現実にしてしまうと、やはり涙は出てくるのだ。在り来たりな言葉しか、声を掛けられないもどかしさ。その言葉以下ではなく、間違いなく言葉以上の悲しみがあった。

 もう本当にこの3年の程の間、身内に悲しい別れが多くて、『死』が老いている順というのではないけど、まだ若いと言われる年代の人が突然逝ってしまうのは、普段の生活の中では感じる事の出来ない、悲とか辛とかの1文字では全然足りない、口では説明しずらい感情の底が現れてくる。そしてそれは単純には消えていかなくて、しつこく長く胸の中に残る。只でさえ長い時間が必要なのに、それが毎年のように起こってくると、自分もその渦の中で縛られもがき続けてくる。昨日は家に帰ってから、その極地に立っていた。家族では無いにしろ、アタシの立場ですらこんなになる。家族だったら、どれほどのものになるのかと考えると、胸が痛くなる。

 伯母達と話をしていて、「アタシなんて、子供の頃からずっと、『自分はどうして生まれてきたんだろう?』とか『何の為に、生きているんだろう』って考え続けてるわよ。足らない頭で考えても、答えなんか出ないのに。」って話すと、やはりアタシへの伯母達の印象がそうなのか、「そんな風な事、全然考えない子でしょう?hanacha3ちゃんは。」と退けられる。この人たちからすると、アタシは完全に”ダメな子”なのだ。褒められた事なんて、1度も無い。他の従兄姉たちは褒められても、アタシは自分がそう言われているのを今まで1度も聞いた事が無かった事に、昨日気が付いた。年が離れているのもあるけど、よく言えば、”今どきのコ”でいて、感情を面に出すのが苦手。言葉で伝えるのも苦手。だから何を考えているのか、さっぱり分からないと言われ続けてきた。大学に入ってピアスを開けたら、「hanacha3ちゃんは、不良だ。」と言われる。昨日初めて会ったその子は、来てくれた友達の数や表情を見れば誰でもすぐに分かるくらいに、もの凄くいい子だったんだと聞かされた。アタシとは対極、多分。そんなにいい子なのに、こんな風に突然逝ってしまう悲しみを、どうして?こんなにいい子を?って問いたくなる。伯母達の取り敢えずの答えは、「1日1日を、悔いの無いように楽しく生きていくしかない。」だった。残された人間は、生きていくしかない。生きていかなくちゃいけない。

 学歴でも家柄でも、職業でも財産でもなくて、それを重要とするのも分からなくないけど、これらを大事だと思っている伯母達からすれば、どれ1つ持っていないアタシはそれだけで既に落第でいて不良でいて、ダメな子なのだ、いつまで経っても。従兄姉達はほとんど、所謂エリート。名のある大学を卒業し結婚して、相手の人も一流大学を出てて、そのまま一流と言われるような企業に勤めて、人が凄いと思うような職業で。でも今のアタシは、普通に暮らせている事が幸せなんだというのを少しは知っている。何も持ってなくても、毎日が健康で楽しく悔いなく幸せに終えているなら、それで幸せなのだ。それに気が付いてるはずなのに、同じ所ばかり見てしまう。幸せの定義って何?生きている事の意味って何?幸せの定義は、目の前にいる五百羅漢のように、人それぞれ。だけどそんな事をこの3年の間、悲しみの場に立ち会う度に考えさせられる私。



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Top▲ | by hanacha3 | 2009-04-06 02:39 | 「私的」語り言
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