あれから、1年。
いつも良く使う、『あっという間』という言葉。
本当に、何も出来ないまま、時間だけが過ぎていきました。
でも、私は忘れません。
忘れられる訳が無い。
今一度、考えてみて下さい。
その人の身になって、気持ちになって、思う事を。
辛い時、悲しい時に、優しくなれない人は、人じゃない。
瓦礫を受け入れるのはイヤ。
ほんの少しでも放射線量の高いゴミも受け入れるのはイヤ。
表示されたり公開されている線量が信用出来ず、東北地方や福島に近い所で取れた食料は食べない。
福島から避難してきた子供を、放射能がうつるからと、いじめたり近付かせない大人たち。
そんな間違った事を植え付けらる子供たち。
子供にそんな事を教えて、親として人間としてどう思いますか?
心配なのは分かるけど、自分に置き換えて考えてみて下さい。
何もかも信用出来なくなったら、人は終わりです。
地元に先日帰った時、幼馴染みに会いました。
そんな話を私がしたら、「もう食べないで、言いたいよ。」って。
そんなに信用出来なくて、風評被害に惑わされて、自分や家族や子供が食べるのに不安なら、
いっその事もう一生食べないでって。
そんなに信用出来ないなら、自分で作ればいいじゃない。
そんなに不安なら、遠くに行けばいいじゃない、って。
東北3県に比べたら、被害は小さいのかも知れないけど、作っている人を信用して食べてるのです。
地元の人間は辛くて悲しいのです。
ほんの少しでも瓦礫の処分に手を差し伸べて上げれば、復興が1歩進むのです。
瓦礫と言われる物はゴミではなく、本当は人がそこに生きた思い出であり、生活であり、証。
来年も再来年も、私は忘れる事は出来ません。
せめて、今日1日。
3月11日だけでも、優しい人になって下さい。
心からの哀悼の意を。
hanacha3