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2007年 03月 07日
in the soup.
“お茶浸り”
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 このところ、ヘビロテで聴いているゴスペラーズのアルバム『Vol.4』。夜中にFormosa Tea Connection華岡烏龍茶SPにどっぷりと浸りつつ聴いていると、ふと思い出した事があった。

 先日、友達と電話で話をしていたのだが、あーだのこーだのと言っていると、アタシと友達が同時に、「優しいだけじゃ、ダメなんだよ〜!」と口にしたのが可笑しかった。何が優しいというのは、男性に対しての事。お互いに30代も半ばに差し掛かり、色んな人や経験をしていくうちに、段々と考えや見方が変わって来るもんだなぁと感じた瞬間だった。

 アタシもまだ子供の頃は、「25歳くらいで結婚して...。」とか「幾つくらいで、子供が何人いて...。」とか淡い想像をするぐらいの事はあったが、年齢を重ねていくうちに、それが大学、社会人となっていくと、そんな淡い想像なんかするのも何だかバカバカしいというか、想像するのが悪いと否定はしないにしろ、結婚しなくてもいいんじゃないのか?って、自分は思うようになっていった。

 でもまぁ、そんなアタシでも縁あって結婚するに至ったのだが、よく結婚する相手に求めるものみたいな類に、「優しさ」ってのが挙がる。確かに優しいってのは悪い事じゃないんだが、そんなに必要な事なのかと、アタシも友達も一致している点なのである。優しさについては、ウチのダンナ様なんかは、全然優しくはない。血の繋がりのある親兄弟には、アタシが見てても目に余るくらいに(!?)優しいのだけど、アタシに対しては容赦ない。それじゃ、ドコが良かったのかと言えば、本音で向き合えるトコとか、仕事に対しては責任感もあり真面目で尊敬出来るトコと、頼もしく頼れる点かなと。一口に「優しい」というのも、大きく分ければ、相手が自分に対して優しいというのと、周りの全ての人に対して優しいという事だろうか。

 「優しい」の、この2つに当てはまる人を、アタシは知っているのだけど、1人は周りの人に対しては全くその「優しい」は理解出来ず、ただ1人の相手にだけ優しさを表す人がいた。その優しさを持つ人と結婚した友達がいたが、アタシを含め「何であんなイヤな人と?」と疑ったりしたが、多分その人の優しさは、全ての人に優しさを表してたんじゃなくて、その人にだけ表す優しさがあったんだろうと思う。実際、ホントにアタシを含め、その人を知ってる人は、「あんなイヤな人間は見た事無い。」ってくらいの人だったから。

 逆に、全ての人に対して優しい人は、チョット難しいんじやないかと、「優しいだけじゃ、ダメなんだよ〜!」と同じ意見を持った友達も多分、アタシと似た感覚を持っているんだと思う。全ての人に対して優しさを出してしまうと、八方美人じゃないが、あっちを立たせればこっちが立たずみたいになり兼ねないと考えてるワケだ。全部を立たせようと思うと、結局は誰かが妥協したり、犠牲になったりする事があるような気がするのだ。

 その人が困難や苦境に追い込まれてる時に、優しい手を差し出すのも優しさの1つだし、答えが見つからない時に、そこから抜け出すヒントを与えるのも、優しさだと思う。けれど、何でもかんでも、優しくしたいというだけじゃ、その人の為にならない場合もある。人それぞれ、性格や受け止め方も違うから、優しいだけじゃダメな場合もあるし。でもアタシの周りにいる人で、「優しい」と思う人といて、果たしてこの人にとって幸せの度合いは?と思ってみると、何だかそうでもないような事も多くて、「優しさ」って、じゃあ一体何なの?って考えてしまう。何を優先するのかは、その人次第なんだけど、「優しさ」に甘えてるだけでは、いけないような気がしてきたのだ、アタシも友達も。

 だから「優しさ」って、この頃難しいなぁって、思ってしまったりするのだ。優しいのは、素敵な事だけど、アタシなんかも自分は優しくはないと、最近しみじみと感じるワケで。考え過ぎだと思うんだけどね。結局は、何を以て、「優しい」とするかは、人それぞれなんだけど。

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Top▲ | by hanacha3 | 2007-03-07 07:14 | 「私的」語り言
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